時代も国境も超越した?
アーティストたちの夢の隠れ家。<前編>

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時代も国境も超越した?
アーティストたちの夢の隠れ家。<前編>

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伊藤拓也さん by「Bar Tram」

日本のどのバーもほとんど扱っていなかった時代からアブサンに魅了され、その味わいを追究してきたバーがある。海外のアーティストにも熱狂的なファンが多いという隠れ家、「Bar Tram」をご紹介。

文:Ryoko Kuraishi

グラスの上にアブサンスプーンを置き、その上の角砂糖に1滴ずつ水を垂らすのが伝統的な飲み方。ゆっくりと水を注ぐためには、写真のようなアブサンファウンテンが欠かせない。グラスのアブサンがゆっくりと白濁していく様も美しい。 Photos by Tetsuya Yamamoto

「アブサン」とは非常に古い言葉で、中世までさかのぼるのだそうだ。
主原料であるニガヨモギ(Artemisia absinthium)の古くからの呼び名、アブサン草に由来するという説が有力だが、
「聖女のため息」「妖精のささやき」を意味する「Absince」から転じたもの、
あるいは英語の「Absence」=不在、つまり「存在しない」に由来するという説の方がロマンティックに響く。
誰が語ったのか「名付けられた時からその運命が決まっていたようだ」という名フレーズが、魅惑のリキュールにはよく似合うから。


アブサンはニガヨモギを主成分とし、アニスやウイキョウなど複数のハーブやスパイスで作られる薬草酒のこと。
アルコール度数は高く、水を加えると白濁する。
透明な液体が白く変化していくその様も、アブサン好きを魅了してやまない。
その昔、オスカー・ワイルドが「緑の妖精」と呼んだ酒はゴッホやロートレック、詩人のヴェルレーヌらアーティストたちを虜にし、19世紀末ヨーロッパを席巻した。
しかしニガヨモギに含まれるツヨンという成分に向精神作用があると考えられ、およそ100年前にスイス、フランスなど多くの国で製造・販売が禁止されてしまった。


2005年、アブサンの生まれ故郷であるスイスでようやく、解禁。
唯一無二のストーリーを持つリキュールが日本でもやっと味わえるようになった。
Bar Tramはそのアブサンにこだわったバーである。
扉を開ければそこには、前世紀のヨーロッパにタイムスリップしたかと見紛うモノクロームの空間が広がっている。
ヨーロッパのどこかの街のバーのように親密で、でも確かに東京でしかあり得ないボーダーレスな雰囲気。
時代や国境、そんな境界を軽々と超越するムードである。
19世紀末のフランスのアーティストたちが足繁く通ったのも、きっとこんな秘密めいた酒場だっただろう。

左はスイスアブサンの「マンサン」。無類のアブサン好きとして知られるマリリン・マンソンがプロデュースしたもので、スイスの著名な蒸留所とともに2年という月日をかけて製作した。右は19世紀当時のレシピをもとに生産している「シャルロット」。伝統的な製法に基づき、砂糖や人工香料、人工着色料等無添加のリアルアブサンだ。

伊藤拓也さんが薬草酒やハーブリキュールにこだわったバー、「Bar Tram」を恵比寿にオープンしたのは2003年のこと。
「7年ほど飲食業に携わってきて、ウィスキーなどと比べたら薬草酒やリキュールって意外に東京で知られていないなって思っていたんです。
お酒の面白さって、それが他の国や地域の文化や歴史を知るきっかけにもなり得るところ。
リキュールはそもそも土地でできる自然の産物を活かした、まさに風土の飲み物です。
中でも、特に薬草酒にはストーリーや個性のあるキャラクターが多くて、個人的に興味がありました。
居酒屋さんでは飲めない酒を味わうための空間作りも楽しかったですね」


伊藤さんがバーを語るとき、ベースになっているのは「空間」学である。
97年、大学を卒業してすぐに恵比寿の雑居ビルで始めた看板のないバー「Bar Paradiso」は、
「空間」への強いこだわりを体現したものだった。
「学生時代に訪れたシアトルでは、文化の発信地であるカフェに衝撃を受けました。
ヒップホップが大音量でかかっていたり、図書館のような蔵書が自慢だったりあるいはオーナーが厳選したジャズのナンバーが楽しめたり……。
当時の東京にはまだカフェブームは到来しておらず、こういったサロン的な空間がほとんどなかったんです」


それは流行りの「空間」ではなく、質の高いコミュニケーションを生み出せる「場」といったほうが的を射ているだろう。
当時の恵比寿には個性的な店やバーがひしめいていてファッション、アート、音楽など早耳の業界人で毎晩、大いに賑わっていた。
伊藤さんがこだわった上質な「場」は、そうした街において見知らぬ客同士のコミュニケーションにも作用したのだろう。

カウンターとテーブル、そしてソファのある店内は、まさしく「サロン」。

そうした「場」作りの過程で出合ったのが薬草酒の一つ、アブサンである。
アブサン自体には文学や絵画を通じて、もともと興味を持っていた。
たとえばクリストフ・ヴァタイユの著書「アブサン」。
アブサンを口にしたことがないという著者が、幻の酒もつ「昇華」のイメージを追い求めて著した作品だ。
あるいはロートレックがその退廃的な色彩で描いた「アブサンを飲む女」、ランボーが一編の詩の中で「天来の苦み酒」と賞賛した酒。
こうした作品の中に現れるアブサンは伊藤さんの想像力を刺激した。


もともと、酒とアーティストは切っても切れない深い関係にある。
中でもアブサンは、その歴史を語るとき「アーティストに最も近い酒」だと言えるだろう。
100年前はどうやって作っていたのか。
100年前にはこんなにたくさんの、アブサンカクテルがあったのか。
知れば知るほど奥深い、アブサンの世界。


とはいえオープン当時は日本にほとんど入ってきておらず、当の伊藤さんでさえ
「(メイド・イン・ジャパンの)ヘルメスアブサンをなめたことがあるくらい」。だからアブサンを求めてフランス、ニューヨーク、ロンドンのバーを巡り、のみならず各地の蒸留所まで足を運び海外との交流を深め、情報を集めたそう。


ヨーロッパ諸国での解禁に伴い、日本でも十数種の銘柄が楽しめるようになったのは、オープンから数年が経った頃だった。


手前はアブサン用グラスも日本にはほとんど入ってこないので、海外で探してくる。アンティークのレプリカが多いそう。

アブサンを求めて海外を渡り歩いたことで、たくさんの貴重な情報に出合えた。
たとえばアブサンの一大生産地として名を馳せたスイスのクヴェ村では毎年6月、「アブサン祭り」が開かれている。
世界中からアブサン愛好家が集まってくるこの祭りに、パリから片道400キロの道のりをわざわざ出かけた。
おまけにこの旅の道中、毎年10月にポンタルリエで行われる「アブサン・ティアード」(アブサン品評会)の存在も知り、わずか3ヶ月後またもフランスを訪れることになる。


「アブサンのためにわざわざ駆けつけた東洋人」として、地元の新聞やアブサン界の名士が編集するアブサン大辞典にも紹介された、というから
アブサンの世界で日本人がいかに珍しかったか想像できる。


アブサン・ティアードとは100人以上の審査員がブラインド・ティスティングによって優れたアブサンを決める品評会のこと。
審査員は一般の部、ブランドアンバサダーやバーテンダー、作り手などが該当するプロフェッショナルの部、
さらにVIPの部の3つのグループに分かれ、
出品されたアブサンの味、香りや見た目の美しさ、白濁加減などを採点する。
2009年の初参加以降、伊藤さんらTramのスタッフはプロの部の審査員として毎年この品評会に参加しているのだ。

フォルムもディテールもさまざまなアブサンスプーン。これらはアンティークのレプリカだそう。本物のアンティークでシルバー製、コンディションのいいものとなると一本10,000円は下らない。

こうして「酒」という一つのテーマを定めて世界を巡ることは、通常の旅よりも幸せな出会いに恵まれるという。
「作り手、あるいはバーテンダー、一般の愛好家。それぞれとの出会いに忘れ難い物語があります。
旅がこんなに楽しくて深いものだとは、とあらためて思い知らされました」
そして、そうした旅を経てきたからこそ伊藤さんの中にボーダーレスな「バー」観あるいは「バーテンダー」観が生まれたと言えるだろう。


日本のバーテンダーがなぜ注目されるのでしょう?という問いに対し、
「繊細な調整技術はもちろん、海外のバーテンダーと日本のそれがいちばん違うのは、お客さんとの関係性」と答えてくれた伊藤さん。
テクニック面ではなく、バーテンダー対客という人間関係に言及できるのは、実際に世界各地のバーを見てきたからこそ。
いわく「毒にも薬にもなる酒を処方し、それを通じてお客さんをチューニングする、
あるいは店というコミュニティーの一員としてお客さんの存在を受け入れること。
職場、家庭とも違うもう一つの居場所を提供する。そうした意識は日本のバーならでは」


そうした海外での出会いや気づきから生み出される独特の価値観が、伊藤さんを次なるステージに向かわせることになる。


後編に続く。

SHOP INFORMATION

Bar Tram
東京都渋谷区恵比寿西1-7-13スイングビル2F
TEL:03-5489-5514
URL:http://small-axe.net/bar-tram-top

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