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空前のカクテルブームに沸く
アメリカンカクテルの系譜。
#World Topics
©The Roosevelt New Orleans
リーマンショックもなんのその。現在全米中を席巻しているカクテルブーム。その裏に、実は日本人バーテンダーが大きく関与しているのをご存知だろうか。アメリカンカクテルの系譜をたどりながら、その現状をお伝えしていこう。
カクテルは、ジャズやロック同様、アメリカが生んだ最良の発明品のひとつだ。1850年代にはサゼラックやオールドファッションが登場し、アメリカンカクテルの歴史は幕を開けた。1890年から禁酒法がはじまる1920年までの30年間は、いわゆるアメリカンカクテルの「黄金時代」。この間に、マティーニやダイキリ(実際はキューバ発祥)、マンハッタン、ミントジュレップなど、多くのスタンダードカクテルが生み出された。その背景にあったのは、ヨーロッパから押し寄せた大量の移民たち。彼らが持ち込んだリキュールやハーブ、スパイスなどが、ニューヨークやサンフランシスコのカクテル文化に深みと幅をもたらし、さらにはインターナショナルな香りを添えた。
しかし、このアメリカンカクテルの「黄金時代」は禁酒法とともに終わりを告げた。多くの優れたバーテンダーはヨーロッパに逃れ、パリ、ロンドン、ローマなどで店を開き、新たな顧客にベリーニ(ヴェネチア/ハリーズ・バー)、ブラッディメアリー(パリ/ハリーズ・ニューヨークバー)、サイドカー(ロンドン&パリ)などを紹介し続けた。
一方アメリカでは、バスタブ・ジン(バスタブで調合した自家製ジン)や密造酒といった粗悪なアルコールがはびこったため、人々はシロップやクリーム、卵などありとあらゆるものを使って味を誤摩化した。またカナディアンウイスキー(カナダ)やテキーラ(メキシコ)、ラム(キューバ)が、北と南の国境を越えて大量に密輸された。これらは新しいドリンクスタイルを生み出し、アメリカのバーテンダーのレシピファイルに大きな足跡を残すこととなった。
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